いつも元気ではつらつとしていたのに、ちょっとしたことで急に体調を崩してしまったり、反対に長患いしていたのが急に改善してしまうこともあります。
それは時として、我々医療者を驚かせることがあります。
突如として病状が好転するのは、もちろん、薬や治療そのものによる場合もありますが、それだけでは説明がつかないこともあります。
「病は気から」
とよく言われますが、さまざまな患者様と接すると、その言葉の意味がよくわかります。
「病気」という言葉も、「気を病む」ことであり、気の異常を指していると言えます。
時代を遡ると、東洋医学では「気」というものを2,000年以上から重要視して、病との関わりについて論述しています。
そもそも、気について東洋医学ではどのように考えていたのでしょうか。
『難経・八難』
「気者、人之根本也」
(訳)気は人の根本なり
気というの私たちヒトにとって、生命そのものであると述べています。
そしてこの気は、全身を周遊してエネルギーを分配して、生命活動を行えるようにしてくれています。
つまり、気は絶対的な量が必要で、全身をめぐっている状態が正常だということです。
それだけ、気は私たちが生きていくのに必要なものであるので、当然気に異常が出れば心身にも影響が出てきます。
では、病と気の関係については、どのような関連があるのかを見てみましょう。
『黄帝内経・素問・挙痛論編 第三十九』
「余知百病生於気也」
(余、百病は気より生ずるを知るなり。)(訳)私は、多くの病気が気の異常によって発生することを知っている
次いで、以下のように記載があります。
『黄帝内経・素問・挙痛論編 第三十九』
「怒則気上、喜則気緩、悲則気消、恐則気下、寒則気収、炅則気泄、驚則気乱、労則気耗、思則気結。」
(訳)激しく怒れば気は上逆し、大いに喜べば気は弛緩し、悲しめば気は消沈し、恐れれば気は下降する。また寒さにあえば気は収縮し、熱によって気は漏れでます。驚けば気は乱れ、過労によって気は消耗し、思慮すれば気は鬱結する。
このように、気は喜怒哀楽や過労、外的要因などにより影響を受けて、それが病気の要因ともなることがわかります。
気は目に見えないものであり、定量化できないため、体調不良に陥っても「気」が原因だとは思い至らないものです。
身内の死別、心無い上司の言葉、失恋、恐怖体験、天候の急な変化、災害などで私たちはいとも簡単に気を病んでしまいます。
昔の人は、この目に見えない気というものを感じ取っていたのでしょうね。
(今では、この「気」という言葉が日常から失われ、「自律神経」にとって代わったような気がします。)
しかし、病気の正体が「気」であるということは、「気のせい」と捉えることもできるのです。
以前、何かの本で読んだのですが、「不幸や悲劇という現象はなく、そう思う心があるだけ」というのがありました。
すべての現象に良い悪いものなどなく、それを「幸か不幸」を決めるのは自分の心だという事です。
理不尽なことを言われたりされたりした時に、自分で悲しみや怒りの気持ちに囚われてしまう。
怪我をしてしまって痛いのは仕方ないですが、それを不幸だと思い込んでしまう。
これらは、一つ一つの現象でしかなく、そこに良い悪いの判断は下してしまうことで、気を消耗したり、流れを乱してしまいます。
すべては、「気のせい」なのです。
一つ一つの出来事に感情が揺さぶられるのは仕方ないかもしれませんが、それが過剰になってしまうことで気を病んでしまいます。
現象としてありのままに捉えること、そこに良い事・悪い事の判断を下さないだけで、穏やかな日々を送ることができます。
なかなかそうは簡単にはいきませんが、そこに「病気」の原因があるのかもしれません。








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