漢方薬局をしていると日々、さまざまな方とお身体の状態についてコミュニケーションをとることになります。
その際に、マニュアル通りではなく、その人その人の事を考えながら適切な言葉を投げかけることがきわめて大切になってきます。
それは私だけに限ったことではなく、誰しも状況に合わせて適切な言葉を選び取っていると思います。
時に言葉は強力では人を助けたり、反対に人を傷つけてしまうこともあります。
その威力は「薬」の力を超えてしまうこともあるのです。
ある時、急な回転性のめまいを生じてから耳のつまりや耳鳴り、難聴が生じるようになった方がいらっしゃいました。
当薬局で漢方薬をお出しして一度は改善傾向にあったものの、数ヶ月後にまた耳の状態が悪くなってしまいました。
そこで私はまた耳用の漢方薬をお出しするものの改善は見込めず、さまざまな漢方薬をお出ししました。
それでも、一向に改善の気配が見られなかったので、どうしたものかと悩んでおりました。
その方は、いろいろな事情があり病院に行けなかったのですが、ある時耳鼻科の先生が往診してくれることになったそうです。
往診ですので、大規模な検査はできないながらも丁寧に診てくださったようで、最後に優しくこういったそうです。
「大丈夫だよ、何も問題はなく、耳はキレイでしたよ。このまま耳が聞こえなくなってしまうことはないからね。もうすぐすると治ってくるはずだから。でも、心配だったらいつでもくるから、連絡してください。」
その翌日から、耳のつまりが徐々にとれて耳が通り、耳が聴こえるようになりました。
耳鼻科の先生からは薬は出されなかったそうで、その先生の言葉によって耳が通じるようなったのです。
私がどれだけ苦心しても改善させられなかった耳の状態を一言で改善させてしまったのです。
その患者さんは「もう耳が聴こえないままではないのか」とこの数ヶ月ずっと不安だったのです。
不安の中、毎日過ごすのはどれだけ大変なことなのか、私はわかっていませんでした。
その先生は言葉の力を信じていたのかはわかりませんが、薬を出さずに患者さんの心に寄り添ったのです。
江戸時代の名医である和田東郭先生も『蕉窓雑話』の書の中で、薬にとらわれず「気分の取り扱い」をとても大切にしていたことが記述されています。
本物の治療家とは、患者さんの本質を見抜く力、相手の心に寄り添うことに長けた人なのでしょう。
自分の至らなさを痛感するとともに、改めて、言葉の偉大さを思い知りました。








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